瀧本峰翠さん

変化の中で咲き続けるお寺と地域づくり

豊後大野市の磨崖仏で有名なお寺である「普光寺(ふこうじ)」の住職を勤める瀧本峰翠(ほうすい)さん(45)を取材させていただきました。

「あじさい寺」と呼ばれ、「普光寺磨崖仏(ふこうじまがいぶつ)」の有名なお寺で2015年から住職をされる瀧本さん。その住職としての考え方や地域での活動について、あじさいの美しく咲き誇る中、お話をお伺いしてきました。

目次
1、名前の「葬式」をあげて、自分が変化した日
2、地域の支えで守られてきたあじさい
3、古き時代に想いをはせ次世代を想うこと
4、個性の塊で地域の活性化を目指す
5、人は人のために頑張れる
6、まとめ

1、名前の「葬式」をあげて、自分が変化した日

瀧本峰翠さん。なんとも珍しくすてきなお名前。取材前から気になり伺ってみました。

峰翠さんとは本名なのでしょうか。

「本名ですよ。」笑顔でおっしゃる瀧本さん。
「正式には改名(かいめい)ですね。峰翠は戒名(かいみょう)です。もともとは真司(しんじ)でした。」

戒名とは、仏教において受戒した人に与えられる名前のこと。出家したお坊さんに与えられます。また、死後に成仏するという思想のもと、故人にも付けられるものです。

大分県津久見市出身の瀧本さんは、同じく住職だったお父さんやお兄さんの姿を見て、高校卒業後の進路では自然と修行の道を歩む選択をしたようです。しかし、その後すぐには住職とならず、国家資格の一級造園技能士を取得して庭師として働いていました。実は施工管理二級の資格も持つなど多才な面を持つ瀧本さんは、2015年に41歳で普光寺の住職となるまでは、庭師「真司さん」として活躍されていたのです。

高校卒業後に僧侶の資格を取ってから、全く異なる職業で長年働いてきた瀧本さん。
時を経て実際に住職になり環境や名前が変わったことに対し、違和感や抵抗感のようなものはなかったのでしょうか。
「特に抵抗感だったり変な感じはありませんね。すっと自然に導かれたというか、普光寺の住職となれたことは本当にご縁だと思っています。」

たまたまお父さんと普光寺の前住職が知り合いだったことがきっかけで、体調不良で住職の仕事が出来なくなった前住職と、自然に跡取りの話をするようになったのだそうです。
それはまさにご縁としか言いようがありません。

ニックネームでも名字の変更とも違う、「葬式」を挙げて新たに生まれた名前。
名前が変わることは自分という存在における大きな変化でもあるかと思いますが、瀧本さんにとってそれは「ご縁」であり、とても自然な流れだったようです。

 2、地域の支えで守られてきたあじさい

取材時、普光寺のあじさいは4分咲き。そんなあじさいが梅雨の香りを運ぶ普光寺の敷地内を瀧本さんに案内していただきました。

本堂から向かって奥には有名な「普光寺磨崖仏」。西日本最大ともいわれる11.3m程の大不動明王と、その両脇の二童子の磨崖仏が拝めます。向かって右には岩壁が掘りくぼめられ、仏像が納められている龕(がん)、そのまた右側には龕の中に護摩堂(ごまどう)が見えます。

約12万年前の阿蘇火山の3回目の噴火による火砕流により造られたという普光寺の岩壁。その岩肌に、仏像や龕が凹凸に現れている立体的な光景には思わず息をのんでしまいます。

あじさいが満開の時期はコントラストがさらに美しいようで、ピーク時にも必ず訪れようと思いました。

普光寺は別名「あじさい寺」と呼ばれます。毎年6月初旬からあじさいの花が咲き始め、6月中旬~下旬のピーク時には、県内のみならず多くの観光客があじさいを見に訪れます。

そんな普光寺は、そもそもいつからあじさいが有名になったのでしょうか。

さかのぼること40年前。

その当時、普光寺の敷地内にはだんだん畑があったそうです。その畑をされる方がおられなくなり、とっさに動いたのは1人の普光寺の檀家さん。敷地内にあじさいを植えはじめたのです。その檀家さんを中心にあじさいを植え手入れを重ねた普光寺は、やがてあじさいが咲き誇り「あじさい寺」として有名になりました。そしてピーク時の約1ヶ月間、「あじさい祭り」を開催したところ、多くの観光客が癒しを求めて来訪したのだそう。

しかし、当時の住職の体調不良や、祭りを支えてきた方の高齢化により次第に祭りが開催できなくなってしまいました。

時は経ち2012年、「あそぼ会」という朝地町の地域団体が中心となって、あじさい再生プロジェクトが実施されることとなりました。再びあじさいが美しく咲く普光寺をめざして毎年努力を重ね、2015年には瀧本さんが普光寺の住職となり、一緒にあじさいの育成に取り組む中で、2017年にはついに一日限りの「あじさい祭り」が復活。2018年には「朝地まちづくり協議会」の協賛により祭りを開催することができたのです。

そして2019年には市の地域育成リーダー事業の卒業生による「あさぢば」という地域団体が中心となり、「あじさい祭り」をより盛り上げる取組も実施されることとなりました。

普光寺のあじさいは、檀家さんをはじめ、地域を想い行動する方々や団体により守られ、その中に入り込んで積極的に活動する瀧本さんの想いの中で咲き続けてきたのです。

しとしとと雨の降る梅雨時にみずみずしく咲くあじさい。そんな美しいあじさいの色や成長する姿は様々。

あじさいの色はどのように決まるかご存知でしょうか?
実はあじさいは根っこから吸収される土の酸度(pH)により花色が変わります。

 あじさいを植えている土壌が酸性の場合は青色の花を咲かせます。

そして、土壌がアルカリ性の場合はピンクの花を咲かせるのです。

青色だったあじさいがピンクに変化したり、華奢な一輪が成長して豪華な姿になったり・・・。
あじさいの成長具合や姿も日々変化し多様に観察することができます。

この幾重にも変化する姿が、見る人を何度も魅了するあじさいの醍醐味なのでしょう。
普光寺で、その日のお気に入りの一輪を探してみても楽しいかもしれません。

3、古き時代に想いをはせ次世代を想うこと

あじさいを楽しみながら奥に進んでいくと、いつのまにか磨崖仏の不動明王像の足元に到着していました。
見上げると大きな不動明王像の姿。 

それでも威圧感はなく、おだやかで柔らかく、自然と手を合わせたくなるような姿です。
あじさいにも磨崖仏にも心癒やされるヒーリングスポットといえます。

瀧本さんの後をついて引き続き奥へ進むと、正面から見ていた龕(がん)に辿り着きました。

多数の祠や石仏が並んでいるこの龕は、手掘りで造られたのだそう。
阿蘇山の噴火による火砕流が固まって出来た地層のため、比較的柔らかいのだそうですが、機械の発達も十分でない時代の手作業は、とてつもなく労力のかかるものだったでしょう。

一番奥の護摩堂に来ました。この岩壁には間近で見ることの出来る、2m以上の凹凸のはっきりとした磨崖仏があります。
くっきりとわかりやすいこの磨崖仏は毘沙門天(びしゃもんてん)であり、ほんのりとかつての彩色の跡が見受けられます。
そして目にとまるのが毘沙門天の脇にある大きな穴。
これは、磨崖仏を彫る際の足場の角材が当てはめられていたのでは、という推測がされているようです。

そして護摩堂の反対側にもなんと磨崖仏が。

これは・・・なかなか気づく人は多くないのではないでしょうか。
磨崖仏は、その姿が消えないよう、護摩堂に守られているようにも見えます。

およそ800年前から造り始められたと考えられている普光寺の磨崖仏。
当時の人々は、どのような想いで掘り進め、完成させたのでしょうか。

瀧本さんは、今度は次の世代へ向けて自分たちが掘りたいという想いも心の中にあるのだそうです。

昔を想い、未来をも想う。

そのために積極的に現状の変化に挑む瀧本さんの姿には、周りが自然と引きこまれていくようなエネルギーが満ちていました。

龕から本堂の方向へ振り返ると、開けた景色を一望することができます。
6月中旬を過ぎると、色とりどりのあじさいが境内を埋め尽くし、より美しい景色が広がるようです。

そんなあじさいがピークを迎える真っただ中の6月16日(日)には、2019年のあじさい祭りが実施されます。記念すべき令和元年のあじさい祭りで、美しい音楽を聴いたり美味しいだんご汁をいただきながらあじさいを楽しむことができるようです。

祭りのポスターに載っている「阿字観(あじかん)」とは、真言宗に伝わる瞑想法のこと。

これはいただいた阿字観のパンフレットの写真です。
蓮の花の上にあるのは「阿」の字。「大日如来」のことを指す一文字です。ここで大日如来の画が描かれないのは、瞑想する各々が、大日如来を頭の中で強くイメージし、一体となる体感を得るためなのだそうです。

普光寺では、龕からの雄大な景色を前にして、修行で体得した峰翠さんによる指導のもと、呼吸法を主体としたその作法を学びます。

(写真提供:豊後大野市地域雇用創造協議会)

通常の阿字観は、お堂の中で行われることが多く、このような景色を前にして体験できる阿字観は普光寺ならではのもの。
「強制的に自分を休めるために参加される方もいます。それくらい集中することができるんです。体験終了後にも家に帰ったみなさんがご自分でできるようにやり方をお伝えしています。大事な試験の前とか、緊張する時にぜひやっていただくと効果的ですよ。」とほほえむ瀧本さん。

参加の際には、準備の都合により事前予約が必要とのこと。
祭りでのイベント以外でも、必ず事前予約・確認をして参加申し込みをしましょう。

壮大な景観を前にして心を整えることのできる普光寺での阿字観。
ぜひ一度挑戦してみてはいかがでしょうか。

4、個性の塊で地域の活性化を目指す

普光寺から4kmの所にあるJR朝地駅。ここには、普光寺へ行く遠方からの観光客もたくさん訪れます。

無人駅である朝地駅の中に併設され、存在感を出しているのは「朝地駅観光案内所」です。

店内は明るい雰囲気で、机とテーブルもあり、待ち合い室も兼ねてついつい長居してしまいそうな居心地の良さがあります。

九州オルレ「奥豊後コース」の出発地点にもなっているこの場所は、朝地町の玄関口にもなっています。

そんな朝地観光案内所でスタッフをされている関(せき)ひとみさんに普光寺についてお話をお伺いしました。

「朝地町の住民としては、普光寺は小さい頃からある身近な存在で、当たり前にいつもある感覚なので、特別感はないんです。でも、瀧本さんが住職になられて、庭師だったこともあってお寺がとても綺麗に変化したことにはすぐ気づきました。そして、わざわざ遠方から来た観光客の方が、普光寺に感激して帰る姿を見ると嬉しくなりますよね。」

また、朝地町全体の変化についてもお伺いしました。
「昔から朝地町に住み続けて感じる変化は、やっぱりどんどん人や店が減っていることですね。それでも、瀧本さんのように過疎化に負けずに活性化に向けて活動している人たちも多くいて。みなさん個性や得意分野も光っていて本当に凄いなと関心しています。」

過疎化という現状に負けずに活性化に取り組む地域の人々の熱意と、新しく住職として来た瀧本さんの活動は、町の方にもしっかりと伝わっているようです。

そして、瀧本さん含め地域を盛り上げるメンバー1人1人は個性の塊。お互いを認め合い高めていくことで大きな挑戦をし花開くことができるのでしょう。

5、人は人のために頑張れる

様々な地域のまちづくり団体で活動し、庭師の仕事も続けながら、消防団にも入り、地域のために行動しつづける瀧本さん。

最後に、「こだわりはありますか」とお伺いしました。

「こだわり・・・が無いことがこだわりですかね。」と笑う瀧本さん。

 拘り(こだわり)が無いこと。
それは「執着が無い」こと。
自分の中だけで固執することなく、多くの事・人を受け入れることを大切にしているようです。

そしてそれは「人のために」生きる姿勢にも繋がっています。

「人が頑張れる時や幸せを感じる時って、やはり人のことなんです。自分ではなく。人のためにエネルギーを注ぐことが幸せなんですよね。」

参拝に来る人々も、自分のことではなく、人のためを想って訪れ手を合わせる方が多いのだそう。

瀧本さんは、普光寺をそんな人々の「より所」にしたいといいます。
「特に用事があるわけでもなく、ふらっと来て何か話して帰る。それだけでも良いんです。普光寺が皆さんの話し場であり、より所・居場所になれたらと常々思っています。」

取材を終え、帰ろうとしていると、何やら杭を打つような音が聞こえてきました。

瀧本さんです・・・!

いつのまにか庭師モードな瀧本さん。
観光に来た若いカップルが、まさか住職とは気づかず通り過ぎていきます。

ふーっと手を止め、あじさいを見つめた瀧本さん。
思わずシャッターを切ったその後ろ姿は、とても勇ましく、お坊さんとは違うオーラでした。

時には住職、時には庭師、そして時には地域の一員として活躍される瀧本さん。

「こだわりの無さ」が瀧本さんのあらゆるものごとへの柔軟性・強さの証であり、多才さの秘訣なのだと確信した瞬間でした。

6、まとめ

積極的に地域のまちづくりに関わり、あらゆる「変化」を恐れることなく、人のため・次世代のためを想い進み続ける瀧本さん。

そして瀧本さんを取り巻き、普光寺に関わる全ての人や過去の取り組みは、現在の普光寺のあじさいの美しさに表れているといっても過言ではありません。

あじさいの花言葉は、花の色が変わることから「移り気」。
変化を表します。

しかし最近、その花言葉は変化したという見解もあるようです。
その花言葉は「団結」。

「変化」し続ける中で、「進化」するために「団結」する。
次世代や次の次の世代まで、ずっと続くために。
普光寺に毎年咲き続けるあじさいは、そのようなメッセージを見る人に送ってくれるのでしょう。

そして、過疎化が止まらなくとも、先人達の想いを受け継ぎ、進化しながら次世代へ引き継がれていく地域のエネルギーは、まるで一つ一つの光る個性が集まって花開くあじさいの大輪そのものです。

地域の移住を考える際に注目しがちなのはやはり家・土地・生活環境。
ですが、その地域にいる「素敵な人々」にもぜひ注目し、会いに行ってみてはいかがでしょうか。そこには地域をつくるたくさんの輝く個性が待っているかもしれません。

(2019/06/11記 地域おこし協力隊 日淺紗矢香) 

TOP