藤居あやさん

★令和2年度から「移住者のみなさん」紹介ページの形式を変更しています★

地域に根をはり、みんなの心のよりどころとなる場所であり続けたい。

出身地:大分県宇佐市
現住所:豊後大野市千歳町
職業:
蔵元

豊後大野市千歳町の焼酎蔵へ嫁いできた藤居さんは、持ち前の明るさで多くのお客さんや地域の人に愛されています。そんな藤居さんに焼酎蔵の女将として店を守りながら地域で暮らす上での思いについてお伺いしました。

Q1. 豊後大野市に移住した経緯を教えてください。

 実は宇佐市の実家も日本酒を製造する蔵元で、その関係で大分県の酒造組合の集まりに参加したのが社長(夫)と出会うきっかけでした。社長が豊後大野市の千歳町で焼酎蔵を営んでいたので、嫁ぐ、という形での移住ですね。その当時、豊後大野市は大野郡で、千歳町は千歳村だったのですが、全く知らない土地でも、そこまで嫁ぐことに抵抗感はありませんでした。地域の人たちは私を受け入れてくれましたし、自分としても焼酎蔵を守り千歳町でしっかりと根をはって生きていきたいと意識していました。

Q2. 焼酎蔵について教えてください。

 現社長は3代目で、社長の祖父が昭和4年に創業しました。東京の大学を卒業して、食品会社に4年間勤めた後に豊後大野市へ戻ってきた社長は、個人の小さな焼酎蔵が生き残っていくためには、オリジナリティを出さなければと考え、当時主流だった「減圧蒸留」というスッキリとした味わいになる手法ではなく、「常圧蒸留」という香りが強くてしっかりとした味になる手法で蔵の味をつくってきました。同時に販売方法を時代の流れに応じて考えながら見直し、少しでもお客さんに商品の説明をしっかりとできる方法を模索してきました。コロナウイルスの感染拡大により、酒蔵での消毒用アルコール製造が国から認められた際も、その発表が出た次の日には製造にとりかかっていました。とにかく時代の流れに応じて瞬時に動き続け、伝統を守りながらも時には新しいことにチャレンジしながら、お客さんに独自の味をお届けできるよう日々励んでいます。

社長の藤居淳一郎さんと共に

-焼酎蔵を営む上で気をつけていることなどはありますか。

 小さな蔵ですが、だからこそ従業員とのチームワークを大切にしています。市外から勤務しているメンバーもいるのですが、ちょっとしたコミュニケーションも大切にし、時には外部から講師を呼ぶなどして、みんなが同じ方向を向いていくために勉強会を実施することもあります。やはり「思っているだけ」では伝わらないので、積極的にコミュニケーションを取っていくことはいつも意識したいと思っています。

従業員のみなさんと

Q3. 地域の中での暮らしはいかがですか。

 地域の子どもたちが学校から帰る時にお店の前を通るのですが、「おかえり」という声かけを大切にしています。学校での話をしてくれる子やランドセルの中身を広げて見せてくれたりする子もいて、日課のようになっています。
 実はお店のある通りは、昔はたくさんの商店が連なってにぎわっていたようなのですが、今ではほとんどのお店がなくなってしまいました。一方で、私たちの営む焼酎蔵というものはその地域でしか製造できない業種です。これからもずっと地域に残り続けるからこそ、子どもたちにとっての「居場所」や「帰る場所」の空気をつくる地域の要素であり続けたいです。

-地域に変わらずにある存在って安心しますよね。

人間は子どもの頃に、家族や地域から色々な愛情を与えられてしっかりとした根っこを生やすことで自己肯定感が高まり強く育つらしいんです。蔵が地域の中に当たり前にある「空気」のような存在であることで、地域の子どもたちにも、安心してのびのびと育ってもらい、故郷を愛する気持ちを持ってほしいと思っています。私自身もこの町へ来たからにはここで根っこを生やし、子どもたちを見守り続けたいと思います。

店先で藤居さんは毎日子どもを見守る

Q4. 最後に、これからの夢を教えてください。

 やはり、 子どもたちが将来大きくなっても「そういえば、あの酒屋のおばあちゃん元気かな」と、ふと思い出して時々帰ってきてくれたらうれしいなと思っています。 私自身もこの焼酎蔵も、しっかりとこの地に根を生やすことで、地域にとって欠かせない存在として、みなさんの心の片隅で「心のよりどころ」であり続けたら良いなと思っています。

取材:令和3年1月

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