米澤陽子さん

★令和2年度から「移住者のみなさん」紹介ページの形式を変更しています★

持続可能な社会を見つめ、自然の恵みを享受しながら丁寧に生きる。

出身地:福井県
現住所:豊後大野市三重町
職業:食品加工業

福井県出身。学生生活と広告業界での仕事で11年間関西で過ごしたのち、結婚を機に大分県へ移住した米澤さん。「身体にも環境にも良い」暮らしを追求し、豊後大野市で工房を構え、加工食品の製造販売を行っています。

Q1. 豊後大野市に移住した経緯をおしえてください。

結婚を機に関西から大分県内に移住した後、自給自足の暮らしができる土地を夫と共に色々と探していました。その当時はIターンという言葉もなければ相談先も分からず、空き家や土地をひたすら自力で探すしかありませんでした。そんななか豊後大野市の白山川の蛍を観て、なんて素敵な場所なのだろうと感激し、ここに住みたいと強く思ったんです。地域の方に声をかけて住む場所を探していると、白山川の蛍を復活させた「白山川を守る会」の会長さんに出会い、土地を紹介していただけることになりました。そこは山奥の手つかずの場所だったのですが、「ここだ」と直感が働き、その土地に根を下ろすことを決めたんです。開墾して道をつくっては木材を運び入れ、山から水をひいて電気も整備し、親戚の大工さんと一緒に家を建てました。そこから自給自足の暮らしを本格的にスタートさせました。

Q2. 知らない地への移住で大変なことはありませんでしたか?

当時、全くのよそ者が入ってきたわけですから、やはり地域では不安に思う方も多くおられたようでした。それでも、「こんな過疎地に来てくれてありがとう」と感謝の言葉をかけてくださって。また、「なぜこのような地に来たのか?」と何度も聞かれましたが、その度に「こんなに素晴らしい場所だからです。」といつも答えていました。

-どのような点に豊後大野市の魅力を感じますか?

まず、水と空気がとっても美味しいんです。そしてここには中途半端ではない「本物の自然」があります。でもそこには人の営みもしっかりとあって。 ユネスコエコパークにも登録されているこの地では、たくさんの人が自然を守り維持しようと精力的に整備や活動をしており、自然と人間が共生ができる環境があるんです。

豊後大野市を出ようと思ったことは移住してから一度もありません。これからもこの素晴らしい場所で暮らし続けたいです。

米澤さんの工房へと通じる緑豊かな道では鳥のさえずりが聞こえる

Q3. 現在営んでいる食品加工の工房について教えてください。

現在開業して6年目になりますが、奥豊後の厳選した食材を美味しく手軽に食べられるよう酵素シロップやドレッシングへと加工し販売しています。特に酵素シロップは、旬の果物や植物のもつ栄養を最大限に活かしながら酵素発酵させて製造しています。スイカズラや松の新芽など、咲き始めの花やエネルギーの高い時期の植物を一つ一つ一生懸命に摘んでもほんの少ししか作ることはできませんが、味わい深く滋養豊かなシロップにするためにスタッフで手間と時間をかけて一瓶づつ手作りをしています。 また、酵素の良さを皆さんへ知っていただくために酵素づくりワークショップも行っています。

ヒュウガトウキを使った酵素シロップ

-貴重な自然の恵みを、 手間ひまかけることで誰でも手軽に味わえる商品へと変えているんですね。

身体にとって良いものは環境にとっても良いものです。食べて健康になるもの、環境を汚さないものを、丁寧に心をこめてつくっています。野菜や果物などの食材は、奥豊後産のものを中心に信用している生産者さんがつくる安心安全なものを使用しています。時には良い食材を求めて遠くまで買いつけに行くこともあります。商品は様々なショップに置かせていただいていますが、豊後大野市のふるさと納税の返礼品としても登録しており、奥豊後の自然の恵みを市外の方にも楽しんでいただいています。

赤いドアが印象的な工房

Q4. 最後に、これからの夢を教えてください。

移住してきたばかりの頃、子どもができるまでは自分たちの住む土地だけを聖域として耕し、暮らしていました。ですが、子どもを育ててたくさんの方と触れ合い、まちを知っていくなかで「社会全体が変わっていく」ことの大切さを感じはじめたんです。こんなに素晴らしい自然環境と人々の暮らしを持続可能にしていくまちづくりができたらとずっと思っています。 また、移住者がもっと増えて多くの人でまち全体を盛り上げていき、面白い場所にしていくことで、きっと「子どもたちが帰りたい場所」になると思います。 そんな夢を抱きながら、私自身もこの大好きな豊後大野市に一生住みたいと心から思っています。

取材:令和2年6月

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